ワールドプロレスリング オレのメモリアルバウト 鷹木信悟 俺だけのSTAY DREAM
2000年10月9日 東京ドーム:川田利明 vs 佐々木健介
NOAHを立ち上げた三沢光晴。全日本プロレスに残った川田利明。
川田が選んだ道は、新日本プロレスとの対抗戦でした。
鷹木の学生時代に、川田 全日本か健介 新日本のどちらが勝つのか?
プロレス好きな友人達と熱のこもったトークを繰り広げたと話します。
対抗戦時の健介のコスチュームは黒タイツ仕様で、後ろ姿は正に長州力(笑)
川田利明は、渕と二人になっても、全日本の看板を守るために闘います。
最後は得意のジャンピングハイキックの連発で川田が健介に勝利!
○ 川田 利明(19分38秒 ジャンピングハイキック)佐々木 健介
2000年7月30日 in 横浜アリーナ 長州力 vs 大仁田厚
二試合目は、自身の出世試合や思い出の試合を選ぶ選手が多いです。
しかし、鷹木信悟はファン時代の試合を選びます。
あれだけ真っ向勝負の男が、涙のカリスマ 大仁田の試合を選ぶ。
鷹木のプロレスラーとしての面白さ、視野の広さが伺えます。
このカードは、試合内容よりも、引退していた長州を引っ張り出すのが目的。
リングを「跨ぐなよ」発言、真鍋アナとの大仁田劇場等のドラマの印象が強い。
大仁田厚の入場時、観客席からモノがバンバン大仁田に向けて、投げられます。
それだけ観客もヒートしています。
しかし大仁田は、関係ないんじゃ!とばかりに、おかまいないしに煙草をふかす。
試合は、10.9の安生戦と同じく長州力の一方的に相手を圧倒する展開。
鬼気迫る、憮然とした表情の革命戦士。
ゲスト解説の蝶野正弘は、この時期T2000を率いてヒール側にいたので、
「おい,真鍋!この試合を俺はプロレスだと認めねぇぞ、おらっ!」と怒る。
この試合で大仁田が出した技は、急所攻撃からのDDOくらいです。
しかし、カードだけで、横浜アリーナが超満員札止めとなったスゴイ興行。
○長州 力 (7分46秒 サソリ固め→レフェリーストップ)大仁田 厚
ドラゴンゲートから新日本プロレスへ
所属していたドラゴンゲートでは、最高峰のベルトであるオープンザ・ドリームゲートに実に4度にわたって戴冠。
団体の象徴であるCIMAや同期のYAMATOやBBハルクらと激闘を展開。
ハイスピードバトルを主とするDGの中でも、パワーを主体としたファイトスタイルで、異彩と個性とジャイアニズムを発揮します(笑)
ドラゲーといえば、最大の見所はユニット抗争。
鷹木信悟はYAMATOと共に新ユニット"暁"(あかつき)結成。
その後、ヒールターンし、団体内の活性化を唱える。
MAD BLANKEY発展的解消。
大ヒールユニット Verserk(ヴェルセルク)結成
鷹木はDGに所属しながらも、他団体の大日本プロレスや全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに出場し、風林火山が如く大暴れする。
そして、ヴェルセルクで大暴れした後、ドラゴンゲートを退団。
そして、常在戦場の場として新日本プロレス参戦を決意。
同世代のライバル・内藤哲也に導かれ、ロスインゴ・ベルナブレス・ デ・ハポンに加入
ラストファルコンリーを改名した、必殺のラストオブザドラゴンで勝利の山を築く。
ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでのオスプレイとの決勝戦迄、鷹木信悟は、群雄
割拠の新日本内で無敗の連勝街道を築いていました。
この初対決を契機に、あらゆる大事な場面で両者は相対する
ウィル・オスプレイとの試合を観た高橋ヒロムは、悔しいくらいに凄かったと公言していますが、本当に素晴らしい試合でした。
スーパージュニア参戦後、鷹木はかねてから公言していたヘビー級に転向します。
ヘビー転向後、石井智弘や後藤洋央紀らとごつごつしたファイトを展開。
鈴木みのるとNEVFR王座を懸けて海賊対龍王の壮絶な戦いを繰り広げます。
ベビーやヒールの枠を超えたユニット。ロスインゴ・ベルナブレス・デ・ハポン
そして、G1の大舞台では同年代の内藤や飯伏とも名勝負を繰り広げます。
ドラゲーで鍛えられたマイクアピールや試合後のインタビューも一級品です。
相手をこき下ろすだけでなく、どこかで相手の長所も加えるので、認め合った中での闘いには好感が持てます。
更に、マイクが聴き取りやすいのがいい(笑)
鷹木は、山梨県出身。ドラゴンゲート所属時には、毎年、自己プロデュースの凱旋興行をしており、自己プロデュース力にも長けてます。
因みに、鷹木は取材記事で音楽は長渕剛しか聴かないと言ってます。
オリジナル技のMADE IN JAPANの雪崩式技が、STAY DREAMだし、鷹木の生き方をみても、これからも Try again の精神で突き進んでいきます。
IWGP世界ヘビー級への挑戦をも実現させたザ・ドラゴン。