武藤敬司 報知 web 連載 天才の58歳の挑戦
いくつになっても楽なんかしたくない
WEB報知で来年2月12日GHCヘビー級挑戦を控える武藤敬司の連載が開始。
冒頭でも述べていますが「いくつになっても楽なんかしたくねぇよ。レスラーである以上、刺激のある生活してた方がいいじゃない」と話します。
武藤と同時代に最前線でトップに立っていた選手たち。
全日本四天王の三沢・川田・田上・小橋 盟友である馳や佐々木らは随分前にリタイアしています。
武藤の先輩で現役として、すぐ思い浮かぶのは藤波や越中、下の後輩といえば秋山。大きく下の後輩といえば棚橋でしょうか。
しかし、藤波や越中は最高峰のタイトルに挑戦することは、肉体的や民意的にも多分、今後もないでしょう。
しかし、武藤は潮崎が持つGHCヘビーに来年挑戦します。記念挑戦ではなく、必ず勝って、三大王座を獲得した選手として名を連ねるために。
賛否両論あってこそ、プロレスラー
今回、挑戦するにあたって批判の方が多いと武藤は言います。
ここ数年の間にノア及びプロレスファンとなった人たちは武藤のことはあまり知らないでしょう。そのようなファンには、是非、ウィキペディアを見てくださいと言いたい。
グレートムタを含め、ここまで日米に渡って活躍し続ける選手は他にいません。その経験と作品の多さが武藤自身にとっても最大の自信となっています。
実際、ノアの超新星である潮崎と、中堅の谷口から勝利を奪い挑戦資格は充分。
武藤「50分も試合する必要はないし、俺のバイブルではない」
勝負タイムは、おおよそ20分から30分前後で決着するのではと考えます。
逆に、勝つとしたら時短の速攻になるでしょう。足四の字で足の自由を奪い、スピードを半減させて、前後からのシャイニングウィザードが必勝でしょう。
もしくは、予想はつかないですが新技投入もあるかもしれません。ムーンサルとプレスがなくても、天才は揺るがない。今の潮崎豪を倒せるのは武藤敬司しかいない。
プロレスは引き算、インフレプロレス等の武藤語録
武藤は連載中によくインフレのプロレスや技のデフレといった表現をします。
一般的に、インフレとは、物価が上昇し続ける現象で、経済が好調時に発生し、逆にデフレは、物価が下がり続け、経済状態が縮んでいく現象です。
武藤が標榜するのがインフレプロレスであり、現代のプロレスや潮崎豪をデフレのプロレスと話す。
現代のプロレスは試合中に技を出し過ぎて、一つ一つの価値が低い、試合時間の長期化も同じようにデフレプロレスがもたらすものと言います。
武藤が観てきた、リック・フレアーやハルク・ホーガン、そして師匠のアントニオ猪木のプロレスは、インフレのプロレス。
そんなに技を出さずに、ここぞという場面で出す、四の字固めやアックスボンバーやレッグドロップ、延髄斬りに卍固めで多くのマネーを稼ぎ、観客を満足させると話します。
現在の武藤も低空ドロップキックに、ドラゴンスクリュー、そしてフィニッシュにシャイニング・ウィザードと確かに少ない技で試合構成しています。
しかし、怪我も少なく縦横無尽に動いていた時の武藤敬司は、正にインフレーションプロレスの申し子だったような気もします(笑)
そのくらい、技も豊富でありえない対空時間で、ムーンサルトやフェイスクラッシャーを使っていました。
両方を経験し、現在出来ること、今を生きている武藤だけに説得力があります。
2021年2月の日本武道館でのGHCタイトルマッチである対潮崎豪戦がこれまでの名勝負を更新することに期待しています。
天才・武藤敬司 個人的 ベストバウト 5
第5位 1990年4月27日 東京ベイNKホール IWGPヘビー級タッグ選手権
王者 マサ斎藤・橋本真也対武藤敬司・蝶野正洋 ○ ※武藤・蝶野組が初戴冠
武藤敬司の凱旋試合と王座奪取の条件も揃っていました。
相手組も橋本の激しい蹴りのラッシュに、マサ斎藤もハッスル!
白熱の好試合になりました。そして、黒白の蝶野が耐えきって、フィニッシュは武藤のラウンディング・ボディプレスでピンフォール!
第4位 1989年7月29日 有明コロシアム
○藤波・木村・越中 対 武藤・橋本・蝶野 ※藤波組の反則勝ちと記憶してます。
1試合限定で海外から帰国した、闘魂三銃士がトリオを結成。
相手は3人だが藤波にしか目に入らず、集中攻撃。
雨でコンディションも悪い中、3人同時に見舞ったドロップキックが印象的です。
この有明コロシアム興行のためだけに、一日限りの帰国を果たした3選手。
武藤敬司は丸坊主で凱旋と、後のスキンヘッドは暗示させています。
第3位 1995年5月3日 福岡ドーム IWGPヘビー級選手権
王者 橋本真也 対 武藤敬司 ○ ※ライバル橋本から武藤がIWGP王座奪取!
この試合の直前迄、武藤はプロレス生活初の大スランプの陥る。
武藤敬司は、自己再生を期し、滝行や座禅を組んでいます。
そして、その甲斐もあって破壊王・橋本真也に勝利し、王座戴冠。
この試合を契機に、爆進街道を突き進み、東スポ大賞・MVPに輝く。
余談ですが、この試合で橋本にドラゴンスープレックスを見舞った際に、その体重で前歯が全部折れたそうです。135キロ恐るべし。
第2位 1991年8月11日 両国国技館 第1回 G1 CLIMAX 決勝戦
○ 蝶野正洋 対 武藤敬司 ※始まりの第1回大会にて蝶野が初優勝。
現在(第30回)まで途切れることなく続いている第1回目の大会。
夏の暑さに負けず劣らずの熱戦で、後にも先にもフィニッシュ技の蝶野のパワーボムはこの試合以外は見たことがありません。
試合終了後に座布団が空を舞った伝説の一戦(その後、座布団投げ入れ禁止)
第1位 1995年10月9日 東京ドーム IWGPヘビー級選手権
○武藤敬司 対 高田延彦 ※ドラゴンスクリューからの足四の字で歴史的勝利
後に、10.9(ジュッテンキュウ)と言われる、非常に重要な歴史的な大会となります。
武藤自身もよく取材で、大きな転機となった試合と語っています。
この日のドラゴンスクリューからの足四の字のムーブ。
プロレス流行技大賞みたいなものがあれば、間違いなく選ばれていたであろう、現在でも色褪せない定番連携です。
生涯現役で在り続ける武藤敬司のプロレスにゴールはありません。